私の今の関心・悩みのタネは「写生に徹し、写生を離れる」という(かつて広く信じられ、私は今も信じる)言葉の後半部分、
“いかに離れるか”ということについてです。
写生が、自然のありのままの姿そのものを捉えるものだとしても、写生を絶対化してしまうと“誰がより正確に細かく描いたか”という競争に
なりやすく、たとえその一部を肯定するとしても、その創造物は「感心はすれども感動はしない」ものになりやすいと思います。
この「何を残すべきで、何を捨てるべきか」という課題は、つまり価値観の問題であり、その人にとって「絵とは何ぞや」ということの答えを
求められているのと同じです。
その答えのヒントを求めて、ヤフオクで日本画素描大観という定価50万近い素描集を格安で手に入れました。
栖鳳、松園、清方、靫彦、青邨、麦僊、などの素描・下図と本画を見比べることができます。(現代ではもう新刊では手にはいらないです)
麦僊の素描がうまいのには驚きました。本画はゴーギャンの影響を受けたためか、私はあまり好きではありませんでしたが、素描は見事でした。
松園は下図もホントにうまいですね。下図ですでに絵が出来上がってます。青邨の線も独特の鍛錬された線です。
意外なのは栖鳳や靫彦という筆や線の大家といわれる人の素描がいまいちだったことです。
ただ栖鳳の素描が荒いのは、いつだって精密書こうと思えば描けるゆえに、動きなどを捉えることにこだわった結果のようにみえるのに対し、
靫彦は素描があまりうまくなかったゆえに線を極めたいという願望が強かったことがうかがえるように私には思えました。
少し話が脱線しましたが、明治から昭和初期の彼らの下図の造形美の質の高さは、驚くべきものがあります。
今の公募展でも緻密な下図を描ける人は山ほどいますが、「写生を離れた(整理できた)」造形を極められている人は
あまりいないような気がします。
というものの、私自身のことを見つめると、「お前は、そんな偉そうなことを言えることやってるのか」という非難が飛んでくること間違いなし、で
まったくその通りでございます。